久武神社|出西八幡宮

【くむじんじゃ】

ご祭神

 ご祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)。

 伝承によると、素盞嗚尊が出雲大川(現:斐伊川)のほとりへお着きになると、一人の娘を囲み泣いている老夫婦に出会われました。娘の名は、稲田姫命(イナタヒメノミコト)。老夫婦の話によると、川上の奥山に住む八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、娘たちを毎年一人ずつさらい、ついに稲田姫命の番を迎えてしまったとのこと。これをお聞きになった素盞嗚尊は、八岐大蛇退治をお約束になり、稲田姫命を稲城の杜へとお連れしました。稲わらで幾重にも垣を巡らせ、固い城(稲城)を築いてお守りし、見事、八岐大蛇を退治されました。すると、その手柄をお祝いするかのように、この地から幾重にも雲が立ち上り、素盞嗚尊は

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」

(盛んに立ち上る雲が八重の垣をめぐらしてくれる。妻を守るために八重垣をめぐらすことよ。あの素晴らしい八重垣よ) と詠われました。以来、人々の暮らしを守る守護神として、出雲の郷人に慕われながら崇拝される神となりました。

由緒

 古くは古事記(712年)、出雲国風土記(733年)に登場する、1300年以上の歴史のある神社です。また、平安時代に朝廷が作成した延喜式に記載されている延喜式内社として格式の高いお社です。

 社名は久牟→久武→久茂→久武と変化してきましたが、重要なのはその音です。出雲地方の訛りや地域・神社の伝承をふまえると、その音は全て「くも」を意味し、かつては「雲社(くものやしろ)」と呼ばれていたと伝えられています。

 久武神社は何度か遷座(せんざ)を繰り返しています。現在地は、江戸時代中期の遷座による四番目の鎮座地です。それまでは、ご祭神である素盞嗚尊にまつわる神話の地にありました。最初の宮が築かれたのは、稲城明神(稲城の杜)※。ここは、八岐大蛇に狙われている稲田姫命を素盞嗚尊がお守りした場所で、「八雲立つ出雲」とはじまる歌をお詠みになられたと伝わります。二番目の宮は、そこから少し離れた、剣御崎荒神※。かつてはここに素盞嗚尊がお住まいになり、稲田姫命のいる稲城の杜へ朝夕通われたと伝えられています。三番目の宮は、さらにそこから少し離れた見晴らしのいい丘の上へと移りました。その付近には神社にまつわる地名「おとい=大鳥居」「おなり道=神の道」が残されており、昔の鳥居や祠の跡を見ることができます。これらの地は斐伊川特有の気候から霧(雲)が湧き立つ場所で、幾重にも重なりながら雲が立ち上り「雲社」を包みこんだ幻想的な景色が目に浮かびます。「出雲(雲出づる郷)」の名は、まさに雲をその名に冠する神社のほとりを起源にしているのです。

 現在の久武神社の鎮座地は、島根県出雲市斐川町大字出西字随心です。この小字にある随心は中心・要所を意味します。古代、この地は出雲国出雲郡出雲郷と呼ばれた、いわば出雲の中の出雲です。出雲郡家(郡役所)があったとも伝わり、まさに久武神社は出雲の原郷にご鎮座している神社なのです。

 本殿は大社造りであり、御神紋は亀甲に一の字紋です。拝殿の後ろには、本殿へ続く長い石階段があります。それはまるで雲のかかる空へと伸びるような心地もして、「雲社」の名にたがわぬ造りとなっています。

※稲城明神(稲城の杜)、剣御崎荒神は下記参照。

【くむじんじゃ】

ご祭神

 ご祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)。

 伝承によると、素盞嗚尊が出雲大川(現:斐伊川)のほとりへお着きになると、一人の娘を囲み泣いている老夫婦に出会われました。娘の名は、稲田姫命(イナタヒメノミコト)。老夫婦の話によると、川上の奥山に住む八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、娘たちを毎年一人ずつさらい、ついに稲田姫命の番を迎えてしまったとのこと。これをお聞きになった素盞嗚尊は、八岐大蛇退治をお約束になり、稲田姫命を稲城の杜へとお連れしました。稲わらで幾重にも垣を巡らせ、固い城(稲城)を築いてお守りし、見事、八岐大蛇を退治されました。すると、その手柄をお祝いするかのように、この地から幾重にも雲が立ち上り、素盞嗚尊は

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」

(盛んに立ち上る雲が八重の垣をめぐらしてくれる。妻を守るために八重垣をめぐらすことよ。あの素晴らしい八重垣よ) と詠われました。以来、人々の暮らしを守る守護神として、出雲の郷人に慕われながら崇拝される神となりました。

由緒

 古くは古事記(712年)、出雲国風土記(733年)に登場する、1300年以上の歴史のある神社です。また、平安時代に朝廷が作成した延喜式に記載されている延喜式内社として格式の高いお社です。

 社名は久牟→久武→久茂→久武と変化してきましたが、重要なのはその音です。出雲地方の訛りや地域・神社の伝承をふまえると、その音は全て「くも」を意味し、かつては「雲社(くものやしろ)」と呼ばれていたと伝えられています。

 久武神社は何度か遷座(せんざ)を繰り返しています。現在地は、江戸時代中期の遷座による四番目の鎮座地です。それまでは、ご祭神である素盞嗚尊にまつわる神話の地にありました。最初の宮が築かれたのは、稲城明神(稲城の杜)※。ここは、八岐大蛇に狙われている稲田姫命を素盞嗚尊がお守りした場所で、「八雲立つ出雲」とはじまる歌をお詠みになられたと伝わります。二番目の宮は、そこから少し離れた、剣御崎荒神※。かつてはここに素盞嗚尊がお住まいになり、稲田姫命のいる稲城の杜へ朝夕通われたと伝えられています。三番目の宮は、さらにそこから少し離れた見晴らしのいい丘の上へと移りました。その付近には神社にまつわる地名「おとい=大鳥居」「おなり道=神の道」が残されており、昔の鳥居や祠の跡を見ることができます。これらの地は斐伊川特有の気候から霧(雲)が湧き立つ場所で、幾重にも重なりながら雲が立ち上り「雲社」を包みこんだ幻想的な景色が目に浮かびます。「出雲(雲出づる郷)」の名は、まさに雲をその名に冠する神社のほとりを起源にしているのです。

 現在の久武神社の鎮座地は、島根県出雲市斐川町大字出西字随心です。この小字にある随心は中心・要所を意味します。古代、この地は出雲国出雲郡出雲郷と呼ばれた、いわば出雲の中の出雲です。出雲郡家(郡役所)があったとも伝わり、まさに久武神社は出雲の原郷にご鎮座している神社なのです。

 本殿は大社造りであり、御神紋は亀甲に一の字紋です。拝殿の後ろには、本殿へ続く長い石階段があります。それはまるで雲のかかる空へと伸びるような心地もして、「雲社」の名にたがわぬ造りとなっています。

※稲城明神(稲城の杜)、剣御崎荒神は下記参照。

【しゅっさいはちまんぐう】

ご祭神

 ご祭神は誉田別命(ホムタワケノミコト)。第十五代応神天皇のご神名。
 命は仲衰天皇と神功皇后の御子神としてお生まれになりました。国際的な視野と威力をもって国政にあたられた神功皇后の後を受け、積極的にその威を国の内外に示すとともに、百済や大陸など国外から文学や産業などの文化を我が国に取り入れられ、文化発展の礎を築かれた神として崇敬されています。家内繁栄、諸産業繁栄、勝運、受験成就などの守護神と言われています。

由緒

 出西八幡宮は、現存する最古の棟札が室町時代のものであり、室町時代以前に九州の宇佐神宮から勧請されたと伝わります。中世の戦乱の世にあって、地方豪族は武運長久や一族の結束と繁栄を守護神に祈るため八幡大神を勧請したと考えられます。

 御神紋は左三つ巴です。本殿は流れ造りであり、出西八幡宮の建立に尽力した宮大工の力作として、本殿の周囲の軒には精巧に彫刻・彩色された「雲や龍」があしらわれています。眺めていると、「雲社」と合わせて幻想的な出雲の原郷を思い起こすことができます。

【しゅっさいはちまんぐう】

ご祭神

 ご祭神は誉田別命(ホムタワケノミコト)。第十五代応神天皇のご神名。
 命は仲衰天皇と神功皇后の御子神としてお生まれになりました。国際的な視野と威力をもって国政にあたられた神功皇后の後を受け、積極的にその威を国の内外に示すとともに、百済や大陸など国外から文学や産業などの文化を我が国に取り入れられ、文化発展の礎を築かれた神として崇敬されています。家内繁栄、諸産業繁栄、勝運、受験成就などの守護神と言われています。

由緒

 出西八幡宮は、現存する最古の棟札が室町時代のものであり、室町時代以前に九州の宇佐神宮から勧請されたと伝わります。中世の戦乱の世にあって、地方豪族は武運長久や一族の結束と繁栄を守護神に祈るため八幡大神を勧請したと考えられます。

 御神紋は左三つ巴です。本殿は流れ造りであり、出西八幡宮の建立に尽力した宮大工の力作として、本殿の周囲の軒には精巧に彫刻・彩色された「雲や龍」があしらわれています。眺めていると、「雲社」と合わせて幻想的な出雲の原郷を思い起こすことができます。

稲城明神(稲城の杜)

【いなぎみょうじん(いなぎのもり)】


 ご祭神は稲田姫命です。この地は久武神社の創建地と伝わり、神聖な古木に囲まれ、古代の空気漂う静穏な場所であり、地域の人々によって代々お守りされています。

 素盞嗚尊が八岐大蛇から稲田姫命をお守りするために、稲わらを幾重にもめぐらせて垣をつくり城を築き匿われたことから、稲城という地名が古くから伝わっています。

稲城明神(稲城の杜)

【いなぎみょうじん(いなぎのもり)】


 ご祭神は稲田姫命です。この地は久武神社の創建地と伝わり、神聖な古木に囲まれ、古代の空気漂う静穏な場所であり、地域の人々によって代々お守りされています。

 素盞嗚尊が八岐大蛇から稲田姫命をお守りするために、稲わらを幾重にもめぐらせて垣をつくり城を築き匿われたことから、稲城という地名が古くから伝わっています。

剣御崎荒神

【つるぎみさきこうじん】


 ご祭神は素盞嗚尊です。久武神社の二番目の鎮座地と伝わり、創建地である稲城の杜からおよそ200メートル離れた場所に御鎮座されています。古代の祭祀場として古い石段と古木により現世から隔離された、荘厳な雰囲気に包まれる神聖な空間が広がっています。大榊をご神木に、地域の人々によって代々お守りされています。

 この地には、素盞嗚尊が稲田姫命に妻問いをした(朝夕通われた)という伝承があります。「出雲国大税賑給歴名帳(正倉院文書)(739年)」の中には出雲国出雲郡出雲郷朝妻里(あさづまのこざと)としてこの地は記されており、妻問い伝承に起因した地名といえます。

剣御崎荒神

【つるぎみさきこうじん】


 ご祭神は素盞嗚尊です。久武神社の二番目の鎮座地と伝わり、創建地である稲城の杜からおよそ200メートル離れた場所に御鎮座されています。古代の祭祀場として古い石段と古木により現世から隔離された、荘厳な雰囲気に包まれる神聖な空間が広がっています。大榊をご神木に、地域の人々によって代々お守りされています。

 この地には、素盞嗚尊が稲田姫命に妻問いをした(朝夕通われた)という伝承があります。「出雲国大税賑給歴名帳(正倉院文書)(739年)」の中には出雲国出雲郡出雲郷朝妻里(あさづまのこざと)としてこの地は記されており、妻問い伝承に起因した地名といえます。

出西しょうが

 出雲市斐川町出西の特産に「出西しょうが」があります。この出西しょうがは、久武神社・出西八幡宮と御神縁があります。久武神社の社伝によると、出雲の地に降り立った素盞嗚尊が、携えていた薑(はじかみ(しょうがの古名))を稲田姫命に授けて稲城の杜にかくまい八岐大蛇を退治したところ、喜んだ郷人が栽培を始めたと伝わります。

 また、出西八幡宮の勧請に合わせてしょうがが広く繁茂し始め、毎年春には豊穣祈願祭を、秋には収穫感謝祭を斎行したと伝わり、今でも春と秋に祭典を執り行っています。出西は豊かな伏流水、霧による寒暖差のある気候風土、斐伊川に運ばれた砂が堆積した土地などしょうが栽培の適地です。この地でしか生み出すことのできない特産品であり、全国にその名が知られています。

出西しょうが

 出雲市斐川町出西の特産に「出西しょうが」があります。この出西しょうがは、久武神社・出西八幡宮と御神縁があります。久武神社の社伝によると、出雲の地に降り立った素盞嗚尊が、携えていた薑(はじかみ(しょうがの古名))を稲田姫命に授けて稲城の杜にかくまい八岐大蛇を退治したところ、喜んだ郷人が栽培を始めたと伝わります。

 また、出西八幡宮の勧請に合わせてしょうがが広く繁茂し始め、毎年春には豊穣祈願祭を、秋には収穫感謝祭を斎行したと伝わり、今でも春と秋に祭典を執り行っています。出西は豊かな伏流水、霧による寒暖差のある気候風土、斐伊川に運ばれた砂が堆積した土地などしょうが栽培の適地です。この地でしか生み出すことのできない特産品であり、全国にその名が知られています。

出雲の地名の
 はじまりの地
出雲国出雲郡出雲郷

神社 所在地

699-0612
島根県出雲市斐川町出西1834
(駐車場あり)

社務所 所在地

699-0612
島根県出雲市斐川町出西1757
(駐車場あり)

お問い合わせ(受付)

TEL
0853-72-2010
(受付時間 9:00~17:00)

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info at kumu-jinja.jp
※atを@に変えてお送りください

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